History
ofHans J. Wegner
“ハンス J. ウェグナー”とは?
デンマークモダンを牽引したデザイナーのひとり、ハンス J. ウェグナー。
代表作である「CH24」は、“Yチェア”という愛称で呼ばれており、本国だけでなく世界中で愛され続けています。
こちらのページでは、ウェグナー自身にフォーカスします。
ウェグナーはどんな人だったのか?デザインに対する考え方は?
どのようにYチェアは生まれたのか?
そんなウェグナー自身と作品の魅力に迫ります。
目次
01. "ウェグナー"って、どんな人?
02. ウェグナーが目指した"無理のない"デザイン
03. "Yチェア"ができるまで。4/2 更新
04. ウェグナーの交友と影響4/2 更新
05. ウェグナーの言葉4/2 更新
01
“ウェグナー”って、どんな人?

ハンス J. ウェグナー
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17歳で木工マイスターの資格を取得
1914年、ドイツ(現デンマーク)のユトランド半島南部 トナーで靴職人の家庭に生まれます。14歳で家具職人に弟子入りし、若干17歳で木工マイスターの試験に合格。若くしてその職人としてのセンスの高さが垣間見れるエピソードです。
コペンハーゲンでデザインを学ぶ
地元で家具職人としての経験を積んでいたウェグナーでしたが、20歳の頃に兵役でコペンハーゲンのシェラン島へ移住することに。デンマーク家具の中心地として盛り上がる様子を見て、デザインを学ぶことを決意。22歳の頃にコペンハーゲン美術工芸学校に入学し、コーア・クリントの弟子であるオルラ・モルゴー・ニールセンのもとで3年間家具デザインを学びますが、現場経験を積むために自主退学します。
アルネ・ヤコブセンのもとで才能を発揮
実務の世界へ飛び出したウェグナーは、アルネ・ヤコブセンとエリック・モラーの事務所に勤務します。そこでニューボー図書館やオーフス市庁舎の家具をデザインするなど、20代半ばにして大きなプロジェクトに関わり才能を発揮しました。1940年には、事務所で秘書を勤めていたインガと結婚し、家具デザイナーとして独立を果たします。

ザ・チェア(1949)
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“リ・デザイン”で自らのスタイルを確立
独立後、自らのデザインスタイルに悩んでいたウェグナー。オーレ・ヴァンシャーの著書からヒントを得て、中国 明代の椅子“圏椅(クワンイ)”をリ・デザインした“チャイニーズチェア”を発表。それをきっかけにリ・デザインの椅子を作るようになります。
1949年に発表した「ザ・チェア」がアメリカの雑誌で紹介されたことにより、世界中で注目を集めました。さらに、1950年代にはカール・ハンセン社との協働により生まれた「CH24」をはじめとした5つの椅子のデザインを行い、自身のスタイルを確立しました。

ベアチェア(1950)
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「サレスコ」の発足、パートナー企業との別れ
1951年、カールハンセン&サンの営業担当だったアイヴィン・コル・クリステンセンの発案により、ウェグナーが手掛けた家具をメーカーの垣根を越えて販売するネットワーク「サレスコ」が発足され、“ベアチェア”など今も愛される名作を発表します。
しかし、6年後にコル・クリステンセンがポール・ケアホルムのプロデュースを行うためにサレスコを去り、協力関係を解消。1966年にはヨハネス・ハンセン工房との関係も薄くなり、パートナー企業を失ってします。

PPモブラー 製造の様子
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PPモブラーとの出会い
ウェグナー作品の新たなパートナーとなったのが、家具職人のアイナ・ペターゼンがオーナーを努めるPPモブラーでした。PPモブラーはAPストーレンの下請けとして、ウェグナーのラウンジチェアのフレームを製作していた実績がありました。
ほかにも、クラフトマンシップや材へのこだわりの高さなど、ウェグナーの厚い信頼がありました。1962年から1993年の引退まで、ウェグナー自らが工房に通い、アイナをはじめとする職人たちと家具を製作。晩年のウェグナー作品を支えました。
2007年、ウェグナーは92歳でその生涯に幕を閉じました。
02
ウェグナーが目指した
“無理のない”デザイン
ウェグナーのデザインは、無理のないシンプルさと、安心感が特徴です。彼は木工マイスターとしてと、デザイナーとしての2つの知識を持っており、その2軸によって木の良さを生かした美しいデザインを生み出しています。木のデザインを自己表現の方法として捉えており、木を媒体とするデザインを通して自分を表現しました。彼の作品は芸術作品ではなく、日常の工芸品とされています。
特に、職人の手作業による工程が多いPPモブラーのウェグナー製品は、木は滑らかで触り心地が良く、スチールなどの金属部分もまるで木の様に滑らかで美しいラインを描いています。ファブリックやレザーの縫い目も美しく、ウェグナーの良さを余すことなく体感することが出来ます。
ハンドクラフト出身のウェグナーですが、「質を落とすことなく、機械にできることは機械に任せる」という柔軟な考え方も持っていました。また、機械加工が得意なメーカー、職人のハンドクラフトが得意なメーカーなどメーカーの得意分野に合わせたデザインを行い、職人とも密に交流を行うことでデザインを高め、時代に即したアイテムを多数生み出しました。
ウェグナー作品の特徴

フィンガージョイント
合面積を多くするために木材をギザギザに加工し接合するもので、強度を保ちながら“見せる接合”としてデザインのアクセントにもなっています。

貫のテーパー
前脚と後ろ脚を繋ぐ貫は、後ろ脚に向かって太くなっています。そうすることで負担のかかりやすい後ろ脚の強度を保っています。

特徴的な笠木
ウェグナーの椅子の“顔”とも言える特徴な笠木。実は後ろ脚だけで笠木を支えるには、木材や構造、技術的な知識がなければなりません。ウェグナーの木工職人としての知識が存分に発揮されている箇所ともいえます。
03
“Yチェア”ができるまで
ウェグナーの椅子と聞いて、多くの方がこの“Yチェア”をイメージするのではないでしょうか。
CH24は、1949年にはじめてカールハンセン&サンのためにデザインした5脚の椅子の中のひとつで、ウェグナーの作品の中で最も有名な椅子です。

写真左上:チャイニーズチェア、右上:ザ・チェア、左下:Yチェア、右下:PP62
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実は、Yチェアも“過程”のひとつ
中国 明時代の椅子 クァンイのリ・デザインによって生まれた“チャイニーズチェア”、そして“ザ・チェア”をデザインし、その後もリ・デザインを突き詰めていきます。
ベースとなっているクァンイをルーツし、チャイニーズチェアとザ・チェアの延長線上に誕生したのが、この“ウィッシュボーン チェア”でした。
ウェグナーのデザインに対する追求はさらに進み、最終的に行きついたのが1975年に発表された「PP62」だと言われています。
歴史的名作であるYチェアも、ウェグナーのデザインの歴史の中では“過程”のひとつでした。

Yチェア
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発表当時から人気…ではなかった?
今でこそ世界的に愛され続けているYチェアですが、発表当時は現在のような人気ではありませんでした。ガーデンチェアと間違われることもあったそうです。
1956年にアメリカ大統領選のテレビ討論でザ・チェアが注目を集め、ウェグナーの知名度が上がったことで、Yチェアも認知されるようになり、ロングセラーとなっていきました。
04
ウェグナーの交友と影響
ウェグナーは、デンマークデザインの黄金期の中心人物の一人として、コペンハーゲン美術学校の恩師であるオルラ・モルゴー・ニールセンをはじめ、親友のボーエ・モーエンセンなど、様々なデザイナーや職人などとの交友を持ちます。この交友こそが、彼のデザインのヒントであり、商品として今も製造・販売されている基礎となっています。
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ウェグナーの言葉
“椅子は人が座るまでは椅子ではない”
ウェグナーは“ただ良い椅子を作りたい”という思いから、500脚以上の椅子を手掛けてきました。手に触れた時の滑らかさや、座った時のフィット感など、手にした人が使い心地に満足できるようなこだわりが随所に見られます。ウェグナーの椅子は、座ってこそ、テーブルやキャビネットなどそのほかのアイテムは日常で使ってこそ、その真価が発揮されます。
一方でこのようなことも発言しています。
“椅子に裏側はない、あらゆる角度で美しくなければならない”
ウェグナーの椅子は、ふと見た時の後ろ姿や、持ち上げた時の座面部分や脚、貫やフィンガージョイントなど、あらゆる場面でも美しく見えることにもこだわりを持って作られています。ぜひお気に入りのアイテムを迎え入れ、使った人にしかわからないウェグナーのメッセー ジを感じてください。
目次
01. "ウェグナー"って、どんな人?
02. ウェグナーが目指した"無理のない"デザイン
03. "Yチェア"ができるまで。4/2 更新
04. ウェグナーの交友と影響4/2 更新
05. ウェグナーの言葉4/2 更新

























































