月刊コラム  「マスターピースとわたし」(7) - PK0が復刻したということ/[すべて正規品]デザイナーズ家具・ブランド家具通販・北欧家具通販【H.L.D】

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H.L.D. オンラインストア スタッフが、
毎月ひとつの名作=マスターピースに思いを馳せるコラムです。
肩の力を抜いて、普段のページではあまり書くことのないようなことを語ります。

仕事や家事のひと休憩や、帰宅中の電車の中、くつろぎの時間の合間など
是非、気軽にご覧ください。

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第7回PK0が復刻した、ということ

2022年、フリッツ・ハンセンの創立150周年を記念して、ポール・ケアホルムの「PK0」が“PK0A”として復刻しました。発表されたのは1952年で、PK0Aが発表されるまでの間たった一度しか製品化されていません。それも600脚限定であったため、当時手に入れられなかったという方も多かったと思います。現行品として手に入るのは、喜ばしいことですね。



2枚の複雑なかたちの成形合板を組み合わせたその佇まいは、まさに“座れるアート”。実はケアホルムがこの作品を発表する前に、チャールズ・イームズがエーロ・サーリネンと共に 近い構想で椅子をデザインしていました。その結果誕生したのが“プライウッドチェア LCW”でしたが、試行錯誤の上完成したものは複数のパーツを組み合わせています。 イームズでさえ実現できなかった“最小限の素材で美しい椅子”を、ケアホルムは作り上げたのです。



1953年/PK0 プロトタイプ/ケアホルム・ハウスにて

ウェグナーの事務所を退所後、フリッツ・ハンセンに就職したケアホルムは、PK0の製品化を提案しましたが、その願いは叶いませんでした。
当時、フリッツ・ハンセンは同時期に開発していたアルネ・ヤコブセンの“アントチェア”の製品化が決まり、生産にとりかかっていました。さらに、アントチェアよりも複雑な構造のPK0を量産することは、当時の技術では困難でした。工場がアントチェアの製造で手一杯なこと、安定した量産が難しいことから、PK0の製品化はお蔵入りとなってしまったのです。それがきっかけとなり、ケアホルムは1年という短い期間でフリッツ・ハンセンを去ることになります。



紆余曲折ありながら、70年の月日を経てPK0は“PK0 A”として世界中で手に入れることができるようになりました。PK0に限らず、デザイナーの創造力に対して、当時は技術が追いつかない、体制が整わないなどでプロトタイプのまま眠ってしまった作品が、現在は自分たちの目で見て、触れることができることが多くなりました。

“PK0が復刻した”ということは、メーカーの努力によってあの頃できなかったことを叶えてくれている、ということだと思います。そして、こういった作品が世に出るたび、わたしたちスタッフは「その魅力を存分に伝えていかないと!」と身の引き締まる思いです。

(text:オンラインスタッフ M)