Vol.1 建築家が愛した照明

今回の特集では、建築家と所縁の深い照明をセレクトし、彼らが愛した照明を3人の建築家と共にご紹介いたします。
産業革命以降の工業化社会を背景として19世紀末から新しい建築を求めるさまざまな試行錯誤が各国で行われ、1919年のバウハウスの創設と共に1920年代に機能主義・合理主義建築が各国で提唱されていきました。
今回ご紹介する照明、「Gras Lamp(グラ・ランプ)」「BELLEVUE LAMP(ベルビュー・ランプ)「VLランプ」は、いずれも1920〜30年代にデザインされ、この時期のモダニズム思想に多大な影響を受けています。
デザインの背景に纏わる物語とともに、温かな灯で秋の夜長をどうぞお楽しみください。

モダニズムのはじまり

1920年代初頭はアメリカだけでなくヨーロッパの建築界も大きな変革期を迎えていました。1919年にドイツのワイマールではバウハウスが開校。初代校長のワルター・グロピウス(1883-1969)は建築を中心とする総合芸術を提唱します。産業デザインを標榜した1920年にはフランスでコルビュジエが『エスプリ・ヌーヴォー』誌を創刊し、機械時代の到来を宣言。1925年のパリ万博博覧会で、装飾のない機能的な住空間「エスプリ・ヌーヴォー館」を発表、新しい時代の暮らしの在り方を提示した。
その2年後、ドイツのシュトゥットガルトにて同様のテーマに沿ったモデルハウス群が完成し、ミース、グロピウス、コルビュジエ、ブルーノ・タウト(1880-1938)らが白い壁とフラットルーフでできた機能主義的な集合住宅群を建設しました。当時北欧では民族主義的な機運が熟し、工芸を尊重する風潮にあった。機能主義を額面通りに受け取るのではなく、北欧の伝統的な工芸技術とのブレンドが求められる中で、スウェーデンのグンナール・アスプルンド(1885-1940)フィンランドのアルヴァ・アアルト(1898-1976)そしてデンマークのアルネ・ヤコブセン(1902-1971)という北欧3国の建築家が北欧モダニズムを率いていきます。

Le Corbusier(ル・コルビジェ)Arne jacobsen(アルネ・ヤコブセン)Vilhelm Lauritzen(ヴィルヘルム・ラウリッツェン)
Gras Lamp

ル・コルビュジエが愛した照明「Gras Lamp(グラ・ランプ)」
近代建築の巨匠Le Corbusier ル・コルビュジエ(1887-1965.)

石や煉瓦を積み上げてつくる建物が主流の時代に鉄筋コンクリートという新しい素材を得て、革命的な建築物を生み出した、建築家ル・コルビュジエ。フランク・ロイド・ライト(1867-1959)、ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)と共に「近代建築の三大巨匠」と言われ20世紀を代表する建築家です。

サヴォア邸

「新しい建築の5原則」を提示、「サヴォア邸」を設計

鉄筋コンクリート建築の先駆であるオーギュスト・ペレの事務所でコンクリート技術を学んだコルビュジエは、1914年、それまでの西欧の伝統建築とはかけ離れた、スラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとする「ドミノシステム」を考案し、機能性を信条としたモダニズム建築を提唱しました。
1926年には、「新しい建築の5原則」を提示して、ピロティ、自由な平面、自由な立面、独立骨組みによる水平連続窓、屋上庭園を体現化した最高傑作「サヴォア邸」を設計。
コルビジエの影響はヨーロッパのみならず、北欧諸国、アメリカをはじめとする世界各国に及び、近代建築の発展に寄与しています。また、1920年には雑誌「レスプリ・ヌーボー」を創刊して自らの理論を掲載。この時期からペンネームとして「ル・コルビュジエ」を使うようになりました。

1929年、従姉妹の・ジャンヌレ(1896-1967)ピエールとシャルロット・ペリアン(1903-1999)のコラボレーションで家具「LCシリーズ」を発表。シンプルで機能的なデザインは時代を超えて愛され続け、現在も販売されています。第二次世界大戦後1947年〜1952年にかけて、「ドミノシステム」に基づく集合住宅『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』を建設。1951年から、インドの新興都市チャンディーガルの顧問として都市計画および裁判所などの主要建築の設計に携わっており、ピエール・ジャンヌレが手掛けた一連の家具シリーズは近年秘かなブームとなっています。

LAMPE GRASLAMPE DE TABLE No.205

コルビジェが愛した照明として今、再注目される

そのコルビジェが愛した照明として今、再注目されているのが、今回ご紹介するグラ・ランプ(GRAS Lamp)です。
1921年にフランス人発明家ベルナール・アルバン・グラにより生み出されたシンプルで洗練されたデザインは、多くのアーティスト・建築家・著名人を魅了しました。なかでもコルビュジエは自身のアトリエのみならず彼が手掛けた世界中のプロジェクトで採用し「ル・コルビュジェが愛したランプ」として有名な照明です。
オリジナルについてはファッション業界を中心に人気が高まっており、近年待望の復刻が実現しています。

ル・コルビュジエが愛した照明 「Gras Lamp」
BELLEVUE FLOOR LAMP AJ7

ヤコブセンが手掛けた隠れた名作「BELLEVUE LAMP(ベルビュー・ランプ)」
北欧モダンの牽引者Arne Jacobsen  アルネ・ヤコブセン(1902-1971)

ヤコブセンは1902年2月11日コペンハーゲンにユダヤ系デンマーク人の家計に生まれました。
父ヨハンは貿易商、母パウリーンはデンマークで初めて銀行に勤務した女性。植物を愛し花の絵を好んで描く芸術的な感性の持ち主だったそうで、ヤコブセンの植物を愛する心は母親ゆずりだと言われています。

jacobsen

ラッセン兄弟と運命的な出会い

小学校へ入学する頃、コペンハーゲン中心部から郊外のクランペンボーへ引っ越しするも、落ち着きのなさや授業を妨害する振る舞いが原因で11歳の時に全寮制の学校へ転校。そこで、後にデンマークを代表する建築家となるフレミング・ラッセン(1902-1984)とモーエンス・ラッセン(1901-1987)兄弟と運命的に出会います。ヤコブセンには、美術講師が一目置くほどの水彩画の才能があり絵描きを志していましたが、フレミング・ラッセンと父親の勧めで建築家になることを決意しました。

技術学校に進学後は製図法や建築技術を学び、1920年の夏休み、ドイツの煉瓦職人の下で修業をします。この時ベルリンでミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)の展覧会を見て大きな影響を受けます。
1921年、デンマークに戻ったヤコブセンは海外に目を向け、19歳でフレデリック執罎傍匱七犬箸靴鴇菫ァ一路ニューヨークへ渡り、摩天楼やブルックリン橋に感銘を受けます。1920年代初頭のニューヨークは急激な経済成長に伴い、高層ビルが競うように建てられ、ロンドンを抜いて世界最大の人口を抱える都市になっていました。19歳のヤコブセンは同年代のヨーロッパの建築家の誰よりも早く、アメリカの摩天楼の強烈な洗礼を受け、デンマークに戻った彼は1924年に22歳で技術学校を卒業し、同年デンマーク王立芸術アカデミーに入学します。

BELLEVUE TABLE LAMP AJ8

独立、そして「BELLEVUE LAMP」誕生

この年はちょうど家具課科が新設された年でもあり、初代学科長にコーア・クリント(1888-1954)が着任。クリントは人間工学の観点から人の動作や日用品のサイズに合わせて家具の寸法を標準化したデザイナーであり、建築家でもありました。
また、過去の事例を徹底的に研究した上で現代的な形な形に作りあげる手法を確立し、バウハウスが過去を否定してゼロから素材や素材や技術を開発していくのに対して、クリントの手法は18世紀イギリスの家具に美的な合理性を見出し、機能と形のプロセスを見直してより洗練された形に仕上げていくものでした。クリントの1期生として学んだヤコブセンの処女作の椅子はり・デザインの下、装飾を省き、直線とエッジを強調したシャープかつ上質な仕上がりの肘掛椅子だったそうです。

卒業後の1927年、25歳のヤコブセンはコペンハーゲン市の建築課に就職し、技術学校時代に出会ったマリーと結婚。マリーは才気あふれる女性で芸術的な友人と交流がありました。その一人がPHランプでお馴染みのポール・へニングセン(1894-1967)です。のち1940年、ナチスドイツがデンマークを占領すると、ユダヤ人であるヤコブセンはその迫害から逃れるためにへニングセン夫妻と中立国スウェーデンへ亡命。友人の建築家アルヴァ・アアルト(が手配した小さなアパートへ身を寄せ、植物柄のテキスタイルや壁紙のデザインで生計を立てていました。そして1929年にフラットルーフの白い箱を思わせる自邸を完成。ヤコブセンは独立し1931年、29歳で「ベルビュー海水浴場」の指名コンペで勝利したのをきっかけに、ベルビュービーチのリゾート開発に関わっていきます。 

「BELLEVUE LAMP(ベルビュー・ランプ)」は、当時バウハウス期の近代主義デザインに影響を受けたヤコブセンが手掛けた最初期のプロダクトデザインで、照明としては最初の作品。長年にわたりルイスポールセンで製造されていました。翌年にヤコブセンが手掛けた「ベラヴィスタ集合住宅」や「ベルビューガソリンスタンド」でも見られ、このプロジェクト後に「ベルビュー」の名称で呼ばれるようになりました。45度にカットされたシェードは、ヤコブセンが手掛けた同建築物でも見られ、名作「AJランプ」や以降の彼の照明器具のデザインの原点ともなった照明です。

ヤコブセンの隠れた名作「BELLEVUE LAMP」
VL45 Radiohus Pendant

デンマークモダン建築の知られざるもう一人の巨匠
Vilhelm Lauritzen ヴィルヘルム・ラウリッツェン(1894-1984)

ヤコブセンと並んで、デンマークの建築史上でも最も秀でた建築家のひとり、ヴィルヘルム・ラウリッ ツェン (1894-1984) は、デンマークにおける機能主義建築の先駆者でもありました。

Vilhelm Lauritzen

美のないところに生活はない

彼は生涯を通じ、建築は「芸術」と「応用」の双方に同等の重きを 置いた「応用芸術」であるという立場を貫き、また「美のないところに生活はない」という信条の下に自然光と人工照明を用いて自らの建築プロジェクト携わっています。
1922年に自身の建築設計事務所を設立、1929年に初の照明器具「ユニヴァーサル・ペンダント」をFritzsches社のためにデザイン、偶然にも「LCシリーズ」とベルビューランプがデザインされた同年です。その後1936年から41年にかけて代表作であるデンマーク放送局を設計します。当時、ラウリッツェンはラジオハウスで使用された照明をすべてルイスポールセンとのコラボレーションでデザインし、その後、公共建 築のみならず住宅やレストランでも名作照明として愛され続け、そのオリジナルは、今もアンティークマーケットやオークション市場で人気を保つ名作デザインです。

VL38 table lamp

愛される照明

北欧家具デザイナーを代表するポール・ケアホルム(1929-1980)やフィン・ユール(1912-1989)も自宅で愛用しており、特にフィン・ユールは当時ラウリッツェンの事務所で所員として勤務していた縁もあって、この照明をこよなく愛していました。
自邸ではもちろんのこと彼の建築空間でも度々採用されています。

「VL45ラジオハウスペンダント」オリジナルの3サイズ(S・M・L)のうち、SサイズLサイズが昨年2016年にルイスポールセン社から復刻され、今年は「VL38テーブルランプ」「VL38フロアランプ」にブラック仕様が加わり、新たな表情をもたらしてくれます。

Finn Juhl フィン・ユール(1912-1989)
デンマークを代表するデザイナーとしてアルネ・ヤコブセン、ハンス・J・ウェグナー、ボーエ・モーエンセンと共にデンマークの近代家具の黄金期生成に貢献したひとり。1930年からデンマークの王立芸術アカデミー建築家学科でカイ・フィスカーに学び、卒業後は当時最先端の建築家ヴィルヘルム・ラウリッ ツェンの下で仕事をした後、1945年に独立する。当時主流であったコーア・クリントの家具の歴史を重んじる形式から抜け出し、独自のデザインを確立してゆく。

フィン・ユールが愛用したペンダント照明「VLラジオハウスペンダント」

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