Kaare Klint “ism” デンマークデザインの継承と変化/[すべて正規品]デザイナーズ家具・ブランド家具通販・北欧家具通販【H.L.D】 |
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DESIGNER/デザイナー
コーア・クリントを
継承する者、
変えていく者。
ハンス J・ウェグナー
生涯で500脚もの椅子をデザインし、20世紀の北欧デザインに多大な影響を与えた。直接的にクリントの教えを受けたわけではないが、コペンハーゲン美術工芸学校ではコーア・クリントの弟子であるオルラ・モルゴー・ニールセンに師事、オーレ・ヴァンシャーの著書から“チャイニーズチェア”のヒントを得るなど、間接的にクリントが提唱する“リ・デザイン”の考えをデザインに落とし込み、オリジナリティを追求した。
ボーエ・モーエンセン
デンマークの家具デザインを代表するデザイナーのひとり。20歳の頃に家具マイスターの資格を取得し、家具職人としてのキャリアをスタート。24歳の時にデンマーク王立芸術アカデミーに入学し、コーア・クリントやモーエンス・コッホの下で家具デザインを学ぶ。クリントの教えを守り、シェーカー様式の椅子をリ・デザインした「J39」は、デンマークでベストセラーとなり“ピープルチェア=みんなの椅子”と呼ばれている。古典的でありながら、細部に見られるこだわりにモーエンセンらしさが感じられる。
アルネ・ヤコブセン
オックスフォードのセントキャサリンズカレンジ、SASロイヤルホテル、デンマーク銀行など数々の名作建築を手掛けた建築家。22歳の頃にデンマーク王立芸術アカデミー建築科に入学し、カイ・フィスカーに師事した。クリントの直接的な弟子ではないが、クリントが確立したデンマークデザインの原則から影響を受けている。家具デザインに関してはモダン様式を参考にしており、 建築のデザインや家具やパーツを含めた一貫性のある考えという点で、ドイツの建築家ミース・ファン・デル・ローエから影響を受けている。
オーレ・ヴァンシャー
20歳の頃にデンマーク王立芸術アカデミーに入学し、コーア・クリントの下で家具デザインについて学ぶ。さらにクリントの事務所で2年間勤務。クリント没後は、後継者として王立芸術アカデミーの家具科 2代目教授に就任し、教育者としてデンマークのデザイン界を牽引した。師であるクリントと同様に18世紀の英国デザインから古代エジプトの家具デザインまで幅広く情報から着想と得て、クラシックモダンな作品を数多く発表した。
ポール・ケアホルム
20歳の頃にコペンハーゲン美術工芸学校の夜間コースで通い家具デザインを学び、同時期に講師であるハンス J. ウェグナーの事務所に勤務する。卒業後はフリッツ・ハンセンに入社するも、1年ほどで退社。クリントの弟子でもあるオーレ・ヴァンシャーの助手をしていた時期もあり、26歳の頃に師のヴァンシャーに続き王立芸術アカデミーの家具科 3代目教授となった。クリントと直接的な師弟関係にはなかったがデザインプロセスに影響を受けており、「PK91」はクリントの“プロペラ・スツール”へのリスペクトを込めて作られた。ケアホルムの作品は、リ・デザインの考えに加えてより実験的な素材や形式を探求し、独自のアプローチを行っていた。
ナナ・ディッツェル
コペンハーゲン出身の女性デザイナー。コペンハーゲン美術工芸学校在学中にデンマーク王立芸術アカデミーの聴講生としてコーア・クリントの授業を受けていた。伝統や様式を重視したデザインを提唱するクリントに対して、ディッツェルは自由なモダニズムを支持。自然界にインスパイアされたオーガニックで自由奔放なフォルムを追求する。卒業後は、同級生だったヨルゲン・ディッツェルと結婚し、共同でデザインスタジオを設立。
モーエンス・コッホ
デンマーク王立芸術アカデミーでコーア・クリントの生徒であったコッホは、卒業後にカール・ペーターセン、イヴァー・ベンツェン、コーア・クリントのスタジオでアシスタントとして働く。コッホの才能に感銘を受けたクリントから、“家具の設計だけでなく、様々な分野において永続するデザインを描くこと”を伝えられる。その経験により、家具や建築だけでなく、モニュメントやファブリックなど、それぞれの分野で影響力のあるデザイナーとして評価された。また、クリントの教えであるリ・デザインの考えを自身のデザインに取り入れていた。
エスベン・クリント
コーア・クリントの息子であり、建築家。優秀な成績で家具職人の資格を取得後、コペンハーゲンの建築技術スクールを卒業。その後、デンマーク王立芸術アカデミーに1年在籍し、父であるコーア・クリントが設計を担当したベツヘルム教会や、モーエンス・コッホが家具や内装を手掛けたスキーヴェ・ホルピタルなどのプロジェクトに携わる。自身の事務所を設立後は、父コーア・クリントが遺したプロジェクトを数多く引き継ぐ。
モーエンス・ラッセン
18歳の頃から4年間石工としての修業をしたが、その後デンマーク王立芸術アカデミーの建築科を専攻し、建築を学ぶ。アカデミーの創立者の一人であるクリントの影響下で学んだデザイン原則を自身の作品に反映しており、「エジプシャンテーブル」もその流れを汲んだものといえる。また、パリ滞在中にル・コルビジュエの作品に出会ったことで、その後の自身の作品に影響を与えたともされている。
フリッツ・ヘニングセン
家具工房のひとつであるI.P. Mørckで修業し、22歳で家具職人の資格を取得。その後、ドイツ、フランス、英国などで修行を積み、1915年にコペンハーゲンに戻り家具店を開業。顧客とのやり取りから人々が求めている家具を把握し、それを製作に取り入れていく。クラシックな家具をよりモダンに、よりオーガニックにリデザインした作品を数多く発表している。これは、師事していたコーア・クリントからの影響でもある。教授と生徒という立場であったものの、リ・デザインすることで共通した2人は、競合するデザイナーとしての意識もあったという。